2013年3月13日星期三

幸いなことに、どちらも結果は『異常ナシ』だったが、決して油断はできないという

祝2歳 3.11被災地生まれの子供たちの“当時”と“今”東日本大震災から2年。あの日に生まれた子どもたちは、2歳の誕生日を迎えた。復興の途上にある被災地のうえを流れた月日。730日という歳月は、子どもたちが立派に育つ時間でもあったーー。

◆福島第一原発からわずか2キロの、福島県いわき市の病院で星山琉菜ちゃんは産声を上げた。大きな余震が続くさなかの帝王切開手術。やっとの思いで生まれてきた新しい命に、病院スタッフや居合わせた患者から歓声と拍手がわき起こった。ところが、翌日『原発が危ない』との急報に、母・真弓さんと父・晃一さんは、生まれたばかりのわが子を抱え、福島市の病院へ避難を余儀なくされる。

「バスが揺れるたびおなかに激痛が走り、縫合箇所からは出血もしていました。ミルクを飲めず火がついたように泣く琉菜を抱っこしての、長時間の移動は本当につらかったです」(真弓さん)

琉菜ちゃんは昨夏に甲状腺検査を、今年に入って血液検査を受けた。幸いなことに、どちらも結果は『異常ナシ』だったが、決して油断はできないという。真弓さんは娘の成長について、「最近、琉菜がアンパンマン体操を完璧にマスターしました。自分で歌いながら体操するんですよ」と話している。

◆2年前の3月。千葉県に住む青山暁子さんは、里帰り出産のため実家のある宮城県亘理町にいた。震災の前日に破水し、入院。地震に襲われたのは分娩準備室で待機していたとき。余震が続くなか、出産が始まった。

暁子さんは「予定日はまだ少し先だったんです。もし予定日どおりの出産だったら、実家にいて、津波にのまれていたでしょうね」と当時を振り返る,〔共同〕。海から5キロの場所にあった実家は、ほぼ全壊。泥だらけになった産着を洗って、生まれたばかりの礼央くんに着せた。父・丈太朗さんと対面できたのは、出産から1カ月後のことだった,スペースデブリ

礼央くんは、今では絵本が大好きな男の子に成長。一人で黙々とページをめくることもできる。特にお気に入りの『やさいだいすき』は、「やさいをたべて、げんき、げんき」と文章を暗記しているほど。

「多くの人に助けられて生まれてきたので、名前にもその感謝の気持ちを込めました。人の温かみのわかる人に育ってくれたら」(暁子さん)【関連記事】 松葉杖のカメラマンが追い続けた東日本大震災「震災を語り継ぐ使命」 華原朋美 復帰から2カ月…笑顔届けた被災地での即興ライブ “1億円の損失覚悟”で被災地支援「50年前の恩返しを」 「吸い殻を落とす観光客も」女川町・被災地ガイドの葛藤 3.11が来ると体調を崩しがちに」と子を失った遺族

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